【高橋政明のマックTalk】連載第17回:今年は私のMac三十年

※ この記事は、ゲストライターの高橋政明氏(有限会社 快技庵)が執筆したものです。
これまでの「高橋政明のマックTalk」記事一覧

札幌の高橋政明です。
もう1月も下旬ですが今年もよろしくお願いします(笑)。

2015年最初のコラムが「今年は私のMac三十年」とはちょっと変なタイトルですね。
Macの三十周年は2014年でした。
私は1985年にMacを買ったので、今年が「私のMac三十年」なのです。

1984年登場の初代MacintoshはRAMが128KBでした。
Macは革命的なパーソナルコンピュータでしたが、RAMが128Kではアプリが使えるメモリーはわずかでした。
これでは日本語の表示もできません。

翌1985年にMacのRAMが512KBになり、価格も下がりました、外部フロッピードライブとイメージライタ(専用プリンタ)がセットの特価になったので妻に半分出してもらってやっと買いました。

私の買った最初のMacについて詳しくはこちらをご覧ください。

極初期のMacの開発環境は、Mac本体ではなくLisa(のちのMacintosh XL)でプログラミングして、シリアルケーブル接続でMacで実行するものでした。
ちょうど現在iPhoneのアプリをOS Xで開発するようなイメージです。
Mac本体をやっと買った私には、まったく手が届きませんでした。
その後RAMが512KBあればコンパイルできる環境が入手可能になり、フロッピードライブ2台で開発をはじめました。
Macで使えるパーソナル用途の20MBハードディスクなどが登場したのはもう少し後の事です。
今とは違い開発に関する情報が少なく、あっても英語だったのでとても苦労しました。

個人輸入ではじめて資料を取り寄せたときは1ドルが220円程だったように記憶しています。
その後1ドル80円前後も経験し、現在はまた円安に戻ってしまいました。
やはり30年は長いですね(笑)。

当時の自分にとってはかなり高価な買い物でしたが、その後もPlusにアップグレード(昔は基盤とバックパネルを交換する有償アップグレードがあったのです)して使い続けました。
仕事でもMacのソフトウェアを作るようになり、もちろん機種はパフォーマやiMacと変わりましたが結局三十年も使い続けているのはMacの思想に惚れ込み、Macが『才能増幅器』であることを実感したからです。

30年前のパソコンはDosの世界で、バックアップのためにフロッピーのコピーを作る際に新品フロッピーの内容(つまり空っぽ)を一日かけて入力した方に重ね書きし消してしまうようなことが世界中で(笑)頻発していました。
今でこそめずらしくなくなりましたが、Macの使い方は自然で間違いも発生しにくく、利用者がやりたい事に専念できるものでした。
Macは利用者の才能を増幅するよき相棒だと思っています。
これは当時からMacに関わる仕事をしてきた人たちにほぼ共通する認識です。

幸いにも私はMacの仕事を通じ多くの仲間や友人にめぐまれました。
その後MOSAで当時はまだ少なかった日本語の技術情報発信にかかわるなどしてきました。
MOSAは30年前に情報不足で苦労した仲間の集まりが発端なのです。

 ※MOSAの新年パーティが東京で開催されます。
 MOSA新年パーティー2015(1月26日受付締切)
 (2014年の新年パーティの様子

そういえば同じころワープロの一太郎も登場したそうですね。
30周年を迎える「一太郎」、原点回帰で快適さ追求――一太郎dashも復刻 – ITmedia eBook USER

マックペイントのマニュアル
▲ カナバージョン512K Macintoshに付属していた「マックペイント」のマニュアル 全ページカラーの美しいマニュアルです。

マックペイントのマニュアル
▲ マックペイントのマニュアルの内容 基本操作でクリックとドラッグを(色をわけて)説明しています。

『MacPaintっていったいどうなっているの?』が私の原点です。そこから徐々にMacの仕組みを学んで行きました。

※ Mac20年に私が書いた記事です。(一部リンクが切れてます)
快技庵版 Macの20年

【著者プロフィール】
〈高橋政明〉
快技庵でiOSアプリを開発する札幌在住の開発者。NPO法人MOSA理事。
1985年にMacintosh 512Kカナバージョンを入手、それからMacのプログラム開発をはじめ今日に至る。
68000からPower PC、PowerPCからインテルと二度のCPU変更を経験したMacプログラマ、現在はiOSの開発が中心です。
Macが登場して三十周年で昔話ネタならたくさんあります(笑)。

LINEMO